六畳一間

ボーイッシュなレズは彼女を作るのが大変だ

青春居酒屋

 

ボロい飲み屋


下北沢の西口から結構歩いたところに私の青春居酒屋があった。
下北沢のにぎやかさと離れた閑静な住宅街の一角に鬱蒼と木が繁る。
そのかげにひっそりと古い木造のアパートがある。
その隣に青春居酒屋があった。
木材やらトタンやら、ちぐはぐな建材を組みあせたボロ。
風が吹けば壊れそうだ。
入口に巨大な金魚鉢があって、金魚がいない代わりに藻が茂っていた。
20年以上前だったか。学生だった私はひとりで、ときに仲間と飲みに出かけた。
カウンターがあって、4人のテーブル席が6セットほどあるこぢんまりしたつくり。
JAZZの流れるうす暗い店内は、ほっとした。

前歯のない美人


店を切り盛りするのは、ハルヒさんというお姉さんだった。
店のオーナーはハルヒさんの父親と継母だった。
店に立ちアルバイトの子と連携して酒と料理を出し、
客の話し相手になるのはハルヒさんだった。
ハルヒさんの話では、継母のナナさんはハルヒさんが高校生の頃、
オーナーと恋仲になり一緒に暮らすようになった。
以来、ナナさんはオーナーのいないところでハルヒさんを罵ったり、ときに手を上げる。
そのせいか、ハルヒさんには前歯が一本足りない。
口を閉じていると、長い髪、白い肌、大きな瞳、
どちらかというと美人なのに、笑うと前歯がない。
ふつうならおかしいが、ハルヒさんは前歯がないのが似合っていた。
前歯のあるハルヒさんを見たことはないが、
前歯のないハルヒさんの方が美人なのだと私は確信した。
美人なのに隙があって愛嬌があって、
ハルヒさんと話すのを目当てにやってくる客は多かった。
私も、そんな客の一人だった。
カウンターにつくと、ビールとつまみが出てくる。
二杯目からはブラッディ・マリー。
「いつもの」の一言で飲みたいものが出てくる。
当時はかぎしっぽのそばに住んでいたし時間もあったから、
月に2回、多いと週に2回店に通っていた。

久しぶりの再会


私は小田急線で客先に向かう途中もうすぐ下北沢に着くというところ、
かぎしっぽが今でもあるのを見て懐かしくなった。
相変わらず、隣のアパートの木が鬱蒼として、かぎしっぽを飲み込みそうだ。
引っ越ししたし仕事が忙しくなったしで、私はかぎしっぽにずいぶん行ってない。
今夜、一杯飲みに行こうか。
客との打ち合わせを終えた私は、新宿から下北沢に向かった。
二十年以上も経つと私の顔は変わったろうか。

店の扉を開く。カウンターにはハルヒさんがいた。
少し間があって、ハルヒさんは私を認識して川澄さんと名前を呼んで懐かしがった。
時間が少し早いせいか、ほかに客はいなかった。
会わない間の互いの変化を話すうちに時間はあっという間に過ぎた。
私は今飲んでいるのが何杯目のブラッディ・マリーかわからなくなる頃、
少しアルコールが回ってきた。
途中トイレに行った。
洗面所の片隅に木彫りの狐の置き物があった。
狐と目が合った瞬間、私は用を足したばかりなのに強烈な寒気がした。
少し飲み過ぎただろうか。
トイレから出た私は、
「自分のことはひとしきり話したからハルヒさんの話が聞きたい」と言った。
ハルヒさんは恋人の話をした。
ハルヒさんは、持田さんという精神科の医師とつき合っていた。
若くて優秀でやさしい人らしい。
もうすぐ結婚するんだとか。
ハルヒさんがナナさんからの暴力から解放されて、
持田さんと幸せな時間を送っていると知り、私も嬉しかった。
始発までまだ時間もある。
もう少しハルヒさんと話していたかったから、
私はブラッディ・マリーをお代わりした。
私は今夜、何杯飲んだだろう。
いつの間にか眠ってしまったようだ。
カウンターにつっぷして眠ってしまったのだろうか。
あたりはすっかり明るくなっている。
見渡すと、私は更地に寝ていた。
私は驚いて飛び起き、周囲を見渡した。
更地の前の道路に立ってみた。
そこから見える風景からするに更地は確かにかぎしっぽのあった場所だ。
隣の木造アパートは新しいアパートに建て替わっていた。
鬱蒼とした木はもうなかった。
頬と服についた土を払いながら、私は更地を歩き回った。
かぎしっぽを支えていた建材の屑があちこちに散らばっていた。
トイレのあったあたりには、なにかの動物の骨があった。
骨は犬のような姿をしていた。
私は訳のわからぬまま下北沢の駅へと向かった。

* * *

二十数年ぶりに川澄から電話がかかってきた。
俺たちの青春居酒屋・かぎしっぽのこと、
ハルヒさんのことを知りたくて電話をかけてきたのだ。
川澄はおととい久しぶりにかぎしっぽに飲みに行き、
明け方までハルヒさんと話し込んでいた。
そのはずだったが、朝が来ると川澄は更地で眠り込んでいた。
かぎしっぽもハルヒさんもどこにも見当たらず、
更地には動物の骨が生前の姿の分かる形で並んでいたそうだ。
俺は二十数年前、かぎしっぽで川澄とよく酒を飲んだ。
そのあともずっと店に通い続けた。
ハルヒさんが店に立たなくなるまで。
ハルヒさんはナナさんから心と体に暴力をふるわれつづけていたという話だった。
しかし言葉と腕力で暴力をふるっていたのはハルヒさんだったのだ。
川澄以外の常連は皆知っていた。
ハルヒさんの暴力に見るに見かねたオーナーが、
ハルヒさんを家から追い出してナナさんと2人で暮らしはじめた。
それが精神科の持田先生が教えてくれた本当のことだった。

 

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