六畳一間

ボーイッシュなレズは彼女を作るのが大変だ

男の子みたいな女の子2

スカートの制服が嫌!


僕という女の子は小学6年生で「あたし」になった。
中学2年生で生理がやってきた。
生理は憂鬱を連れてきた。

相変わらず好きな女の子がいたけれど、
私は好きな子に好きだとは言わなくなった。

私は自分が好きになるのが同性であることを隠すようになった。
無理に男の子を好きになろうとしてみたりもした。

それでもどうしてもスカートとか制服を着るのが嫌だった。
平成の時代。中学校の女子生徒の制服はスカートだった。
両親が買ってくれる新品の制服にもため息しか出ない。
生理も毎月容赦なく来る。

私が14歳のとき、母が他界してから家庭環境が悪化した。
当時、私たち一家は渋谷の高級住宅街のマンションに住んでいた。
母亡き後、そこに私と弟2人と父とで暮らすのだと思っていた。
それがそこに知らない女のひとがいた。
父に好意を寄せていると思われる女性Mさんだ。
父がのちに、私が二十歳になった時に再婚する女性。
当時はとにかく暗い感じの人で、
私はMさんを新興宗教の信者かなにかだと思った。
真っ黒のおかっぱ、ぼろぼろの白いトレーナーにデニム。
あまりにも飾りっ気がなくて、さみしい感じがする。

父もMさんもマンションの近くの小さな会社で働いていて、
ほとんど家には帰って来なかった。

少し離れていても父とMさんとの新しい生活は地獄だった。

高校受験の勉強もまったく集中できなかった。
学校の成績は一度底まで落ちた。

私は渋谷区とか新宿区の学校でなく、
世田谷区の高校を選んだ。
渋谷の中学校が荒れていて、私は都会の学校に懲りていた。
でも、その高校を選んだ本当の理由は、
制服がないことだった。
私服でいいなら、私はその学校にどうしても行きたかった。
ついでに言えば、学食もあるのがよかった。
わが家では食べ物が切れていることがよくあったので。

中学校の担任の先生は
「木陰さんの成績では受からないでしょう」と言って、
もう少し偏差値の低い別の学校を薦めた。
父も私も先生の意見を聞かなかった。

私はスカートを穿きたくない一心で勉強をがんばった。
翌年3月、私は希望の学校に上から7番目で合格した。

好きな服で通学できる学校に入ったけれど、
私の悩みは尽きなかった。

友達がたくさんできて楽しくて、
あちこち遊びに行きたいのに、
私にだけ6時という厳しい門限があった。
たぶん父は渋谷で遊びすぎて、
私がおかしくなることを恐れたのだと思う。
弟2人には門限がないのに!
そんなことが怖いなら、渋谷のど真ん中になど住まなければいいのに。
バカみたいだ!
しかしマンションには父もMさんもいない。
私は門限なんか守らなかった。

それがマンションに1日中父とMさんがいることになった。
広いマンションの1階部分が事務所になった。
家族はマンションの2階部分に住むようになった。
父とMさんは食事と睡眠の時間以外、マンションのなかで仕事をしていた。
私は2人が仕事をしている部屋を通るとき、申し訳ない感じがした。
遊んでばかりで、ごめんなさい。
もちろんMさんと父は同じ部屋で寝起きした。
新しい子が生まれた。
それが一番下の弟Sだ。
Sが生まれて、かわいい赤ちゃんがいるはずなのに…
わが家の食卓は無言だった。
父が言い出して猫をたくさん飼うことになって会話は生まれたが、
私と弟2人は父にもMさんにも心を開かなかった。
私は「Mさん」と名前で呼んだが、弟2人はいつまで経っても
Mさんのことを苗字の「Aさん」と呼んだ。
私たち兄弟は文具とか医者代とかお金を立て替えると、
家に帰ってMさんに伝える。
するとMさんは「清算してください」と言う。
家のなかでお会計ですか。

わが家は仕事と家庭が混線していた。
家なのに気持ちが休まらない。

M


私は同じ高校のMといちばん仲よくしていた。
初めて会ったとき、私は愛想がよすぎるMを信用できなかった。
それがMが私に宇宙人の本を貸してくれたあたりから、
急激に私の心が開いていった。
ふたりでバカなことを死ぬほどした。
Mの中学の友達と3人で遊ぶこともあった。
3人あるいは2人でフリマに行ったり、
古本屋だとかCDショップに行ったり。
さみしがりな私と違って、Mはひとりの時間を大切にしていた。
かわいくて性格のいいMは男子にも女子にも人気だった。
Mはかわいかった。
Mに好きな人ができたとき。
私は自分がMのことが好きだと気がついた。
Mが好きな人の話をすると、私はせつなくなった。
好きすぎて、いじわるしてしまったりした。
私はMより子どもじみていた。
自転車に2人乗りをする。
私の方が重たいからと言ってMが漕ぐ。2人でサドルを半分こする。
風が吹いて、Mのシャンプーのにおいが流れてくる。
それを吸い込むとせつなくなる。
いまMに好きな人がいないから、私がいちばんMに近いはず。
魅力的なMは同じ高校の男子生徒を好きになったりもしたけど、
大人の男性とつき合ったりしていた。
短い間ではあったけれどMは音楽ライターの男性と、つき合っていた。
私はその男性とMと私の3人で一度だけ会った。
その人は音楽関係の仕事をしていて、大人である。
私は逆立ちしてもかなうわけもなく。
自分が冴えなくて幼くて泣きたくなった。
私はMの家によく転がり込んだ。
Mにはかわいい2人の妹がいた。
やっぱり妹もかわいくて性格もいい。
お母さんは私のことをかわいがってくれた。
飲んだくれてMの家の玄関前で寝転んでいたら、
お母さんが中に入れてくれた。
ふつう怒るところをお母さんは「迎え酒よ」と言って、
一緒に飲んで私の話を聞いてくれた。
早朝に目が覚めると、
Mのお母さんとお父さんの会話が聞こえる。
ああ。ふつうの家っぽくて、私ここのうちの子になりたい。
涙が出そう。
お父さんも私のことを知ってくれている。
迷惑な私なのに家族みんながやさしい。
家族みんながやさしいからMもやさしいのだろう。
思い返せば、本当に迷惑かけてばかりで、
恥ずかしく思う。
もう20年ぐらいMと会ってないけれど、私はMの声を忘れない。

高校では私はMと同じで、どこのグループにも属さなかった。
私はどこのグループとも仲よくしていた。
高校生の頃、悪いことばかりしていた。
そして、毎日死にたい気持ちだった。
死のうとしたことがあったけど、
Mにすごく怒られた。
Mに嫌われるのは辛い。
私は命を粗末にする遊びを一切やめた。
入学時は上から数えた方が早かった成績の順位も、
卒業時は下から数えた方が早いぐらいだった。
それでも無事に卒業できたのはMのおかげだし。
それ以外にも仲良くしていた友達のおかげだった。
高校生の頃はもちろん、大学生の頃も、社会人の頃も、
いつもいつも、私は友達に支えられていた。

 

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