六畳一間

ボーイッシュなレズは彼女を作るのが大変だ

男の子みたいな女の子1

 

僕と言う女の子だった


子どもの頃、私は自分のことを「僕」と言っていた。
母と弟2人と出かけると3人とも男の子と間違われることは日常茶飯事。
そのたび、母が「この子は女の子で…」と訂正する。
私は自分を男の子と思っていたけど、男の子に間違われると
なぜだか恥ずかしかった。
弟と同じように、私にもおちんちんが生えてくると思っていた。
スカートが大嫌いで絶対に履かなかった。
大好きな母方の祖母は、初孫で女の子の私に
とってもかわいいひらひらな服を着せたがった。
「僕じゃなくて私でしょう!」と言った。
そんな祖母の思いを全部無視。
いつもズボン。しかも薄着。
母は女の子らしい服を私に着せようとはしなかったけれど、
私が冬でも半ズボンであることを嘆いた。
「女の子は身体を冷やしちゃだめでしょう!」
「女の子は〇〇」と言われると、私は猛烈に反抗した。
そのワードを言われると信じられない頑固になってしまった。
とにかく服も自転車も男の子みたいだった。
おもちゃは面白く、車のおもちゃなど男の子向けのおもちゃを買ってもらうのに、
おままごとセットやバービー人形とか家もほしがった。
いまでこそ、女の子も男の子も服やランドセルを自由に選べるけれど、
昭和の子どもは女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしく。
そういう時代だった。
幸い父も母も私が僕と言ったり、男の子みたいな服を着ることに、
なにも言わなかった。

幼稚園や小学校では男の子に交じって遊んでいた。
勝気なところもありつつ、男の子に強く言われるとすぐ泣いた。
算数が苦手で居のこり勉強させられて、わからなくても涙がこぼれる。
泣き虫だった。

女の子が好きだけど…


好きな子はいつも女の子だった。
小学校低学年の頃は好きな子ができると、
「〇〇ちゃんが好きだよ」と気持ちを伝えていた。
高学年になると自分がほかの子と違っておかしいと思い始めて、
好きな子に告白しなくなる。
6年生の夏、引っ越しをキッカケに「あたし」と言うようになった。
私のことをよく知らない新しい学校のクラスメイトは、
私が「あたし」と言っても笑うことはなかった。
家族は違和感があったかもしれないけれど、
誰も私が「あたし」と言っても笑わなかった。
私は「あたし」なんて言いたくなかった。
見た目も男の子みたいなのに、私は男子から好意をもたれた。
どの男子の好意にも応えられなかった。
それなのに2人だけ好きな男の子ができた。

小学校2年生のときに休み時間に一緒に遊んでいた5年生の男の子。
整った顔立ちで、とてもやさしいお兄さんだった。
その子といつまでも遊んでいたかったけれど、
私は転校して東京から茨城へ移った。

小学校5年生のときに同じクラスだった男の子。
早熟で話の面白い子。私から気持ちを伝えた。
それからは毎日一緒に下校したり、
バレンタインやホワイトデーに手づくりのお菓子を送りあったり、
その子の家に遊びに行って一緒にファミコンをしたりした。
私は転校して茨城から東京へ移った。
その子をうちに泊めたいと私が言ったら、母は怒った。
「なにかあったらどうするの!」。
私は「なにか」がなにかわからなかった。

県をまたぐと、行動範囲の狭い小学生は、
好きな子とも友達とも繋がりが切れてしまう。

小学校5年生のときに好きだった男の子を大人になってから、
Twitterで見つけた。太ったサラリーマンのおじさんになっていた。
もちろん自分だっておばさんなのだけど。
ぱっとしない旦那。子どもしか楽しみのないパパ。
大人になった彼を私はそんなふうに感じてしまった。
きっと私が異性愛者だったとしても、私と彼の人生は平行線だろう。

私は初潮が来るまで、男の子みたいに自由でいられた。
初潮が来るまでは。
14歳の夏、学校のトイレで経血のついた下着を見たとき。
私は自分が女の子なんだとわかった。
おちんちんなんて生えてくるわけがない。
ショックだった。

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