六畳一間

ボーイッシュなレズは彼女を作るのが大変だ

キジトラがいた日々2

 

2009年の梅雨、18歳のみゅう(キジトラ)、
30歳の私、38歳の彼女の共同生活がはじまった。

メンヘラ―


私の病気はうつ病だと思っていたら違うらしかった。
彼女とみゅうとの共同生活を始める何年か前に知らされた。
統合失調感情障害という病名。
統合失調症」というと一生治らないというイメージしかない。
いま思えば、私は薬が合っていないし量も足りていなかった。
当時の私は精神科の薬が怖かった。
薬の種類を変えるのも怖いし、量が増えるのもやっぱり怖い。
結局、主治医から別の薬を提案されるも、勇気がなく同じ薬にとどまった。
私は発症してからずっと鬱だった。
もとは活発な人間だったと思うけれど、ずっと元気がなかった。
彼女はバリバリ仕事をしていた私を知らない。
彼女は鬱状態の私が好きだった気がする。
ふり返ってみて、なんとなくそう思う。
私はすぐに疲れて寝てばかりいた。
そして、夜はなかなか眠れなかった。
毎日、夜が長かった。

守るべき存在


つき合いたての頃。
私と彼女が道を歩いていたときのこと。
上から何かが落ちてくると思った彼女は、
私に覆いかぶさるようにして私を守ろうとした。
私はこんなに大切に思われているのかと感動した。
しかし、たしかに当時の私は弱かった。
私は彼女の家で寝ていることがほとんどだった。
気圧が下がると調子が悪くなった。
電車やバスに乗っていると不安で、すぐ降りたくなった。
私と彼女は近場の吉祥寺でデートすることが多かった。
しかし、地元の荻窪か阿佐ヶ谷で遊ぶことがもっと多かった。

3.11


当時、私は練馬の大泉学園の皮膚科に通っていた。
阿佐ヶ谷から大泉学園に行くバスがあった。
片道40分以上かかったと思う。
彼女は平日の休みが合うと皮膚科についてきてくれた。
それだけでなく世田谷の成城にあるメンタルクリニックにもついてきてくれた。
電車やバスに乗るものの、途中で降りることはよくあった。
乗り物を途中下車する私の通院につきそうのは大変だったと思う。
2009年から2021年までの12年間、
彼女はほとんど文句も言わず私の通院についてきてくれた。
別れるときに乗り物を途中で降りたり、
私が乗り物を怖がるせいで行動範囲が制限されるのはもう嫌だと言っていた。
ごくごく自然な気持ちだ。
長い間、彼女に病院のつきそいをさせてしまった。

2011年春、私はまだ大泉学園の皮膚科に通っていた。
午後に突然激しい揺れが東日本を襲った。
私は待合室のソファで恐ろしさのあまりフリーズしていた。
怖いから頓服が飲みたかった。
左手の大きな窓から見える景色。
金属でできている街路灯が皆しなっていた。
金属があんなにやわらかくなるってなんだ?
私は自分の頭がおかしくなったのかと思った。
右隣の中年男性が窓のすぐそばで固まったままの私に
「危ないから、こちらにいらっしゃい!」と声をかけてくれる。
私はすぐにそのひとの真横に座る。
頓服を飲む。揺れがおさまる。胸はどきどきしたまま。
診察は無しになる。阿佐ヶ谷に帰りたい。
皮ふかを出て駅前のバスロータリーに向かう。
口の中がカラカラでコンビニでドリンクを買いたい。
また揺れる。ペットボトルの並ぶガラス張りのケースの中が、
大きく右に左に揺れる。
その度に景色がおかしいのか?
それとも私の頭がおかしいのか?
わからない。
彼女は職場、丈夫な建物だから大丈夫だろうけれど、
どうしているだろう?
みゅうは大丈夫だろうか?
バスが来た。乗る。いつも通り帰ることができた。
鍵を開ける。部屋のなかが見える。
とくに変化はないようだ。
部屋にあがると、みゅうのカリカリが散らばって、
そこにみゅうの飲み水がかかっていた。
みゅうは通常迎えに来ないが、すぐに私のところに来た。
「みゅう怖かったね」
私はテレビをつけてベッドに腰かける。
みゅうはベッドの向いのテーブルに座る。
私とみゅうが向き合うかたちになる。
2人とも怖いから向かい合ったまま離れない。
とくに言葉を交わさずとも、2人で向き合って彼女の帰りを待つ。
彼女は当時、家から近い職場で働いていた。
帰宅困難者の流れと逆流して帰ってきたそうだ。
小さな体で大きな流れの中を帰って来るのは大変だったと思う。
ドアをノックする音。
私は玄関に駆けてゆく。
ドアを開ける。
彼女と私が抱き合う。
彼女がみゅうを抱き上げる。
「道がものすごい人でいっぱいだったよ」
「コンビニで食べるもの買いたかったけれど、棚がガラガラで」
「私はみゅうと向き合っていたよ」
「怖かったね」

その日、私と彼女はデニーズで夕食を済ませた。
その頃の私は、自分の周りの人が
自分と同じことを話題にしているように感じる症状があった。
その日はほかの席のひとのほぼ全員が地震の話をしていた。
私はそれを症状かと思って、
彼女に「みんなが地震の話をしているね。また私の調子が悪いのかな?」
と言ったら「きのこちゃん以外も、みんな地震の話をしているよ」
と教えてくれた。
外を歩くときも、ベッドのなかでも、
私は恐ろしくて、彼女の手をぎゅっと握った。
彼女のふっくらしてあたたかい手がぎゅっと握りかえした。

彼女が仕事に行っている間、つぎにどんなことが起こるか?
緊急地震速報が鳴るかもしれないからテレビをつけっぱなしにしていた。
テレビから地震津波の映像が洪水のように流れてくる。
もう見たくない。でもニュースを知らなければいけないと思い込んでいた。
だんだんとコマーシャルはACのものばかりになる。
同じ音楽、同じフレーズ、地震津波
私はみゅうとずっと一緒にいることで、春の地獄を乗り切った。
みゅう、怖かったね。

 

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