彼女は雪が好きだった。
鹿児島生まれだからめずらしかったようで。
部屋が寒くなるほど窓を開けっぱなしで雪を見る彼女はかわいかった。
今朝、ごみを出そうと思ったら雪が降り出した。
雪が降るたび彼女を思い出す。
その度せつなくなった。
いまはせつないとかかなしいとか思わなくなった。
きっといまも近所に住んでいるけれど。
トンネルの向こう側に彼女は待っていないのだ。
きのう眠る前に彼女のことを考えたけれど、
私たちはもう繋がっていない。そうとしか説明できない。
そして、それは事実だけれどかなしいことではない。
彼女と別に住み始めてすぐ。
私は彼女の声をどうしても思い出せなくなった。
iPhoneに残る彼女の唯一の動画を見ると、
少しの間だけ彼女の声を思い出せるけど、
またすぐ私は彼女の声を思い出せなくなる。
私が14の時に母が亡くなった時も同じだった。
私は母の声をすぐに思い出せなくなった。
母が録音した3歳の私と若い日の母の声が入っているカセットテープ。
不思議とどこかへいってしまった。
母方の祖母は14年前に亡くなっているけれど、
今でもハッキリと祖母の声を思い出せる。
彼女はもちろん生きている。
私たちはとても仲が良かったし、
素敵なふたりだといろんな人に言われもしたけれど終わった。
喧嘩なんてほぼゼロ。
別れ際以外のふたりの時間にかなしいことなんてなかった。
ただただ、ふつうの毎日がたのしかった。
コトン。
昨日眠る前に私たちが終わった音を私は聴いたのだ。
彼女がしあわせであることを祈るだけ。
私の日々の習慣のなかに彼女に教わったことがたくさんある。
それでもとてもゆっくりと私は新しい暮らしの習慣を取り入れている。
私は別れた時の自分と日々変わっていっている。
きっと彼女も私とつき合っていた時の彼女と違う人。
最初はそれがかなしいことだと感じていたけれど、
それはかなしいとかかなしくないとかでなく、
もう止めることのできない川の流れのようなもの。
人生は短い。
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